このサイトについて

おことわり

私が書いた文章や、作った画像は、もしお気に召していただけましたら、ご自由に保存したり再掲したりしていただいて結構です。その際、できるだけこのサイト名の表記やリンクをしていただきますと幸いです。しかし、していないからといって特に何ということもないです。

私は筆が遅いです。しかし書きたいことは山のように海のようにあります。私が想定しているサイトの全貌がひと通りでも浮かび上がってくるまで、数年はかかるかもしれません。私自身は気長に、しかし堅実にこのサイトを作り上げていく所存ですので、ブックマークにでも入れていただき、心のどこかで気にかけていただければと思います。

2023.07.30

各カテゴリについて

どのカテゴリに関しても、それぞれのジャンルでの主流の主張・流行・常識とは異なった内容になる予定です。ですので、なかなか多くの方に読んでいただけるサイトにはなりにくいかもしれません。しかしもちろん、多くの方に読んでいただきたい気持ちで書いています。

カテゴリと読み手の認識如何によっては、例え一つのカテゴリを好意的に読まれたとしても、その他のカテゴリに嫌悪感を抱かれてしまうということもあろうかと思います。そうすると、このサイトを他の誰かに紹介するのもためらわれるでしょう。わかります。
ただ、一つ私からのお願いは、ちゃんと論拠を示しながら、断りを入れながら書いていきますので、理論として面白い、興味深い、参考になる、など感じ取っていただけましたら、どうか率直にご評価いただきたいと思います。

経済・金融 カテゴリ

経済と金融について、主流の学者や評論家の主張・流行・常識とは異なった内容を書いていきます。もちろん、しっかりと論拠を示して、誰にでも納得していただけるよう努めます。ただ、別のカテゴリでは「神示・スピリチュアル」などという世間一般では顰蹙を買うようなジャンルを扱うサイトですので、その辺りが拮抗して、読み手によっては信用を失うことにもなると思います。しかし、しっかりと引用元や論拠など確認していただきますと、あやふやなものではないことは理解できるかと思います。

歴史・戦争 カテゴリ

私が書けるのは主に、日本のこと、近現代史あたりが中心になると思います。その他はその時に応じて雑多なことも織り交ぜていきます。どちらかといえば右翼的な主張になります。2012年あたりからのネットでの保守思想ブームを目の当たりにし、時には議論もしてきましたが、左派的な主張だけでなく、そうした保守的な主張とも少し異なった見解をもっています。
私の国家観としては右翼的ですが、経済観は左派的(労働者寄り・資本主義批判)です。

思想・プロパガンダ カテゴリ

ある特定の思想はすべてプロパガンダ(政治的な宣伝)であると言えます。特に現代人に流行する”先進的”な思想の背後には、明確な政治的意図が隠されています。現代人の世界観は、主流メディアによって吹き込まれたこれらのプロパガンダに、知らぬ間に満たされています。そのガラクタをお掃除したいと思っています。

健康・医療 カテゴリ

健康とは人間本来の天然の状態、また免疫機能や治癒能力が滞りなく発揮されている状態のこと。医療とは、その天然の状態に人為的に介入することであると、ひとまず定義しておきます。特に現代において主流である西洋医学について、できるかぎり証拠を提示して、その欺瞞を明らかにします。
元々私は西洋医学に懐疑的で、折に触れて調べたりはしてきましたが、それほど深く入り込むことはありませんでした。しかし新型コロナ騒動の巨大で途方もない欺瞞を目の当たりにし、その中で個人ブログ「In Deep」を知り、まさに開眼しました。この In Deep で紹介された医学論文にもたくさんお世話になると思います。

神示・スピリチュアル カテゴリ

神示とは主に「日月神示ひつくしんじ」のこと。その他「大本神諭おほもとしんゆ」「伊都能売神諭いづのめしんゆ」が中心になると思います。
スピリチュアルとは、漠然と、いわゆるチャネリングやニューエイジ関連を想定しています。スピリチュアルに関しては私からの意見・見解を投げかけることが多くなるかもしれません。スピリチュアルは好きなのですが、同時に常に問題意識をもっています。私が一番共感してのめり込んだのはヌーソロジー(半田広宣)です。

神だ霊だという話は、現代科学的な価値観でいうところの「証拠」を提示できるものではありません。それは、現代科学がそれらを無視しているからです。私は、いずれ科学が今よりも進歩すれば、神霊的な分野をその範疇に含めるようになると思っています。神霊的な世界と科学は相反するものではなく、ただ単に科学がそれを立証できていない(しようとしていない)だけです。
科学においては、「証拠がない=完全な否定」ではありません。証拠がないというのは、「科学的には肯定できない」状態であるにすぎません。「有る」とはいえないが、「無い」とも言えないのです。
ですから人間が感じ、思考すべき可能性の世界は無限に広がっているのです。現に、過去の科学史上の偉人たちも、当時では誰も理解できないものの可能性を予測し、自らの信念を科学的手法で立証してきました。
科学とは、「科学的手法で立証されたものだけを肯定する学問」であるにすぎません。それ以上でも以下でもありません。科学に忠実な人ほど、「証拠がないからそれを否定する」ことはできないはずなのです。また近年においても、従来の科学・医学的常識に疑義が投げかけられる研究も発表されています。人類も、そしてその営みの一つである科学もまた、まだまだ未熟であるといわねばなりません。

思うこと・意識 カテゴリ

純粋に心の中に起きていることの観察です。
私は子供の頃から、自分の心の中、思考、思索、想像、感じていることなどが、自分にとっての全てでした。他の誰かから何かを教わったという自覚はあまりなく、自分の心を掘り下げて何かを発見しながら精神的に成長してきました。10代のあいだはずっとそんな感じだったと思います。世の中には尊敬できる素晴らしい人がたくさんいるものだと気づき始めたのは、20代に入る頃だったような気がします。しかし成人してからの様々な経験やその記憶の累積から、子供の頃の冴えざえとした思考や想像が鈍り始めたように感じます。私はあの頃の冴えた自分を取り戻したいのです。

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